江戸時代にもあった郵便-『郵便』という名称を追う-
明治5年に登場した郵便ポストは角柱型の箱を黒色に塗ったもので、夜になると暗闇と同化したので大変見えにくかったそうです。
差出口の下に白字で『郵便箱』と書かれていましたが、地方から上京してきた紳士はこれを見て『垂便箱(タレベンバコ)』つまり公衆トイレと間違え用を足そうとしたという、このポストの開発者にとっては涙目なエピソードが残っています。
酔っぱらっていたわけでもないのにそんな間違いするなよ、と思わんでもありませんが、当時の人たちにとって『郵便』という言葉があまり浸透していなかったことを物語るエピソードと言えるでしょう。
使われる頻度の少ない“郵”
“郵”の字は郵便や郵政などに使われる以外、見ることはないと思います。
“郵”の字を辞書で調べてみると
【郵】垂と邑を組み合わせた形
垂は草木の花や葉が垂れさがる形で辺陲(辺境)の地をいう-常用字解より
【郵】●意味:伝令の中継をするための屯所。転じて、飛脚の中継ぎをする宿場
●解字:「邑+垂(陲。地のはて、辺境)」で、もと国境に置いた、伝令のための屯所のこと-漢字源より
“便”は下の方ではなく“たより”の意味です。
つまり単純に文字の組み合わせでいくと郵便は「(飛脚を通じ)宿場を介して届けられるたより」と言えます。
“便”についての詳しい考察はこちらを参照
→漢字[便]における字音と意味の関係の形成
漢字に詳しい人の間で
さて、郵便と言う名称は前島密が飛脚に変わる新しい信書送達制度の名称として採用したものですが、この人が新しく作りだした造語ではありません。
実は江戸時代にも使われていた言葉でした。
そうはいっても「郵便」を「垂便」と間違えてしまう人がいるくらいなので世間一般に広まっていた言葉ではありませんが、菊池五山や頼山陽といった漢詩人の間では日常的に使われていたようです。
菊池五山の書状の一文:
『〜郵便ニ差出可申候〜』
頼山陽の書状の一文:
『〜郵便故也勿怪』
また頼山陽の漢詩の中にも『郵便得京報』と出てきます。
確かな記録はありませんが前島さんも漢詩人の間で使われていたこの言葉を知っていたと思われます。
『種々考案の末』に郵便という文字を選び、多くの賛同を集め、新たに行う事業の名称に郵便と名付けることになりました。
『総て物の名称は簡単で以って呼び易いのに限る』by前島密
メモ帳
黒ポストは他にも悲運に見舞われて、中にカエルなどの生き物を入れるふとどき者もいたようです。いつの時代もこんな人間はいるんですね。
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