郵便の逓送に使われた雪上車と悲劇の物語
南会津に駒止峠という峠があります。
遠い昔、奥会津に以仁王が落ち延びてきたときにこの峠を通ったそうです。
峠があまりに険しく馬が歩みを止めたことから“駒止”峠と呼ばれるようになったようです。(一説にはあまりに景色がよかったため馬の歩みを止めたからともいわれている)。
困難を極めた峠越え
その駒止峠のある南会津は豪雪地帯で知られています。この豪雪に加え峠の険しさのおかげで冬季の逓送業務はとても大変でした。
しかし駒止峠を避けて通るわけにもいかず、もちろん車両を使えるわけないので、逓送隊は徒歩で雪をかき分けながら郵便物や小包を運んでいました。
その中には生活に必要な物資もあったようで、なおさら運ばないわけにはいかなかったわけです。
危険も多く実際に雪崩に巻き込まれて亡くなった方もいます。まさに命がけの仕事でした。
そんな事態を打開すべく導入されたのが2台の雪上車でした。それぞれ「金嶺号」「銀嶺号」と名付けられ、昭和31年12月15日に会津山口局に配備されました。
不運な事故
しかし、その一週間後思いもかけぬ事故が起こってしまいます。
12月22日
AM5:20 山口局から雪上車が出発 朝から猛吹雪
↓
駒止峠にさしかかるが前進できないので引き返す
↓
AM10:30 峠の麓の沢に1台の雪上車が横滑りして沢に転落
このときに同乗していた1人の女性が犠牲になりました。犠牲になった女性はこの日、ソ連に抑留されていた旦那が引揚船で戻ってくると聞いて峠を越えたさきの田島というところに向かっていました。
自力で峠を越えることができなかったので雪上車に同乗させてもらったのが運の尽き。不運にも事故に巻き込まれてしまいました。
事故で亡くなった奥さんは10年近くも夫の帰りを待ちわびていたとか。
もう少しで会えたというのに、なんと無情な・・・
長年に渡り人々を苦しめ、時に犠牲者を出しながらも雪深い峠を越えていたわけですが、そんな駒止峠にもようやく昭和57年に駒止バイパスとトンネルが開通。
そのおかげで以前のようなに苦労もなく人も物も移動できるようになりました。
参考)雪上車の主なスペック
雪上車のスペック:ぎんれい号KC20-3(1956年式)
最高時速:45km/h(もちろん舗装された道路)
積載量:480キロ(40袋程度の郵袋を積んでいた)
価格:約320万円
エンジン:トヨタF型
メーカー:コマツ製作所
※『日本の雪上車の歩み』の同型は車両重量/車両総重量:2625kg/3120kg
『荷役と機械』では車両重量/車両総重量:2400kg/2895kgとある。郵便逓送用に使われた雪上車がどのくらい改良されて、同等程度のスペックをもっていたのかは不明
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