郵便マーク -その2-
前回は“〒”がどのように考案されてきたのか一つの説をみていきました。
他にも説があるのでご紹介したいと思います。
“T”は不足の意味
どの説もそうなんですが「逓信」の「て」から〒が考案されたものであることは共通しています。
前回紹介した片仮名の「テ」以外にもローマ字の「T」から考案されたとか、漢字の「甲乙丙丁」の「丁」を図案化したものだという説もあります。
ローマ字の「T」にしろ、漢字の「丁」にしろ、のちに上に一本の線が引かれます。
それは“T”は世界各国の郵便局において郵便料金の不足を示すTax、Taxeの頭文字に当たり、これに似たマークでは都合が悪いと言うことで、当時の横浜郵便局局長が抗議のため逓信省に赴き、榎本武揚大臣に進言したとされています。
そのためか分かりませんが明治20年2/8付けの官報で「Tを逓信省の徽章とする」としていたのを2/19付けの官報で「Tは〒の誤り」と訂正することになりました。
『當時横濱の郵便局長故高橋良教氏が逓信省に出頭、榎本大臣に直報した。そこで大臣は當意即妙英綴のTが忽ち日本假名のテの字に訂正されたものとの噂を聴いたのである』
―逓信協会雑誌 1940年1月(377号)
『(T字印であることは)日本交通官署のシンボルとしてはハイカラ過ぎて失敗であったからさすがの榎本大臣も兜をぬぎ、其の月の十九日官報第千八十九號に左の如く正誤した譯だと京童は噂してゐる。此の抗議者は當時の横濱郵便局長高橋良教氏であったと著者は聞いてゐる』
―日本郵便切手史論 1930年5月
Tの上に線を引いた人物
上記の参考文献である「日本郵便切手史論」の著者は樋畑雪湖という人です。
樋畑雪湖といってもあまりピンとこないかもしれませんが、逓信総合博物館(ていぱーく)の前身である郵便博物館の創設に大きくかかわった人物です。
それだけでなく、なんと郵便マーク“〒”の上の一本線をつけたした人でもあるんです。(上記の事情があったために)“T”の上に線を引いて、というか引くように命ぜられ“〒”になったと著書やインタビューなどで証言しています。
改めて郵便マークが〒になった説をみていくと
- 〒に決まったにもかかわらず、なにかの手違いで官報にTと載ってしまい後で修正して〒になった
- Tに決まったが、抗議を受けたため訂正を余儀なくされた。結局Tの上に一本引いて〒になった
この郵便マークを研究した人達の間では、後説が有力で前説は少し勘違いがあるんじゃないか、などいろいろと見解がなされています。
まあ結局のところ、どれが正しいのか現在のところ分かっていません。てか、もう真実は闇の中なので、分かることはないでしょうね。