近代郵便のはじまり・その2|議会を動かした郵便改革とその後
前回(その1)では、ローランド・ヒルが郵便改革のパンフレットを出版し、料金値下げ・重量制・前納制を提案したところまでを解説しました。
今回はその後、改革が実現するまでの経緯と、改革後の実態について解説します。
世論と議会を動かしたヒルの改革案
ヒルのパンフレットは庶民に大きな反響を呼び、ついには議会を動かすことになりました。
議会では同じく郵便改革を唱えていた議員のウォーレス(Robert Wallace)が議長を務める郵便改革の特別委員会が発足し、ヒルも積極的に関わっていきました。
反対勢力との戦い
この郵便改革を快く思わない勢力も多くいました。野党(トーリ党)や郵便当局の関係者、国の財務関係者などです。
しかし強い世論の後押しを受けて改革の議論は進み、無料郵便の廃止・重量制の導入などの内容が具体的にまとまっていきました。
改革の実現:世界初のペニー郵便制
1839年7月、距離に関係なく半オンス一ペニーで送れる郵便制度の法案が議会を通過・公布されました。
そして翌1840年1月10日から、半オンス一ペニー郵便制がスタートしました。
世界初の郵便切手の誕生
さらに同じ1840年の5月1日、世界初の郵便切手「ペニー・ブラック」が発行されました。発行初日には販売窓口が大変混雑し、売り上げも好調だったとされています。
ヒルによると1日で2,500ポンドもの売り上げがあったという記録が残っています。
改革後の現実:利益回復までの長い道のり
ヒルの見通し通り、郵便物の総量は増加していきました。
しかし増えた需要がすぐに郵便当局の利益に結びつくことはありませんでした。
利益が出なかった理由として、郵便料金を大幅に引き下げたことによる収入減したことと、需要増加に伴う人件費などのコストが増えたためです。
前例のない初めての試みであったため、理論と現実の間に乖離が生じるのはやむを得ないことでした。
実際、収入・利益面で改革前の水準に戻るまでには、それから数十年を要したとされています。
歴史に残る改革として
利益回復には時間がかかりましたが、この郵便改革が現在にまでつながる歴史的な大改革であったことは間違いありません。
ヒルが改革案を導き出すまでの過程で注目すべきは、その手法です。
・フランスのデータも含む客観的なデータをもとに分析・検討
・感情ではなく論理的に問題の解決策を導き出す
・自ら代替案を示し、実現まで粘り強く推進する
イギリスの郵便改革はその後、日本をはじめ世界各国の郵便制度に取り入れられていきました。
前島密がイギリスを視察した際に感銘を受け、日本の郵便制度の近代化に活かしたのも、まさにこの改革の精神と仕組みでした。