“はやい”を満たすサービス ― 速達という思想
「はやい」は多くのサービスにおいて価値の中核に置かれていました。
逆に「遅い」「時間がかかる」という評価は、いつの時代でも否定的に受け取られがちです。
よく「現代人はせかせかし過ぎ。もっと余裕を」なんて言われます。頭では分かっていても、数分・数時間の遅れにすら苛立ってしまう。それは性格の問題なのか、それとも日本社会が育んできた気質なのか。
スピード時代を象徴するかのように移送手段も大きく変貌を遂げてきました。
少なくとも言えるのは、私たちは長い時間をかけて「速さを求める社会」を作ってきたということです。
時間を短縮することが「進歩」だった時代
輸送手段の進化は、そのまま「速さ」への執着の歴史でもあります。
徒歩、馬車、自転車、鉄道、飛行機、自動車──
より早く・より確実に人や物を運ぶために、社会は絶えず更新されてきました。
ある日、テレビで寝台列車の廃止を伝えるニュースを目にしました。かつて上京の際に利用した、個人的にも思い入れのある列車で今でもそのときの切符を手元に残しています。
夜を越えて目的地に着く寝台列車は、決して効率的とは言えません。飛行機や新幹線に比べれば遅く、手間もかかる。
だからこそ、時代の流れの中で選ばれなくなっていきました。
速さを基準にすれば、廃止は合理的な判断。その一方で、時間をかける移動が静かに切り捨てられていくことに、
どこか寂しさを覚えるのも事実。
郵便における「はやさ」の象徴 ― 速達
郵便サービスにおいて「はやさ」を体現する存在が速達です。
ーできるだけ早く届けたいー
その極めてシンプルな欲求に応えるためのサービスです。
意外に思われるかもしれませんが、速達の取り扱いが開始されたのは郵便創業から約40年後のことです。
しかも当初は、東京の一部地域と東京―横浜間といった限定的な範囲に限られていました。全国的に取り扱われるようになったのは、昭和12年になってからです。
見えないところで積み重ねられてきた努力
郵便の歴史を調べていくと、「いかに早く、いかに滞りなく届けるか」という試行錯誤の連続であることが分かります。
人の脚から始まり、馬車、自転車、鉄道、飛行機、自動車、バイク、そしてドローンも
輸送手段だけでなく、内部処理に費やす時間も機械化によって徹底的に短縮されてきました。
一通の手紙が届くまでには、人の手と仕組みが幾重にも重なっています。当たり前という感覚の裏側には、長い時間をかけて積み上げられてきた工夫と努力があります。
速さとは、価値観の選択である
速達は単なるオプションサービスではなく、時間をどう扱うかという社会の価値観の表れだと思います。
郵便という仕組みは、常に人間の時間との向き合い方を映し出してきました。
速達は「いそぐ」という人間の欲求に真正面から応え続け、(背景は見えにくいけれど)確かな思想があります。
速さは目的ではなく、必要とされる場面で時間を縮めるための手段です。そう考えると、速達という存在が少し違って見えてくるかもしれません。