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郵便発祥の地/中央区日本橋

【訪問:2011.7.18】

日本の道路の起点である日本橋。かつてこの地は道路の起点というだけではなく郵便の起点でもありました。

現在、日本橋郵便局のある場所はまさにその起点であった場所で、前島密の胸像と郵便発祥の地を示す碑文が設置されています。

記念の碑文

碑文には

『ここはここは, 明治4年3月1日(1871年4月20日) わが国に新式郵便制度が発足したとき 駅通司 と 東京の郵便役所 (四日市郵便役所とも呼ばれ 現在の東京中央郵便局) が置かれたところです 』

と記されています。

 

魚を扱う小屋から

もともとこの場所は旧幕府の魚河岸の魚を納めていた魚類御用屋敷※があり、その屋敷を郵便事業をおこなう役所として改修されました。

ただ改修されたといっても、あまり手を加えられることなく、とても狭くてオンボロの状態のまま使用されたみたいです。

前島密の回顧録にもその状況が記されています。

建屋の柱は傾き、壁は崩れ、さらに中は狭くて肩と肩がぶつかるほど。
その狭さゆえに自身の席を設けることができず、仕方なく押し入れの中棚を取り除いてそこを席にするしかないような状態でした。

しかもその席は「暑中の夕日が頭の上に低い庇を照り付けて 其の熱さは焼かれるが如く」とあり前島密にとっては狭いわ・暑いわ・しかも外は騒がしいわで散々だったようです。

そういった状況でしかも周辺は火事も多い場所であったことから他の地域に移そうと考えましたが、やはり郵便の要所として交通の利便性や立地、日本橋の発展性などを考えて他になく結局この地にとどまることを選びました。

 

改修されて

オンボロな状態のまま引き継いで使用していた魚類御用屋敷も新しい庁舎に改築することが決まります。明治6年12月に工事が始まり、竣工したのは明治7年4月と起工して約4ヵ月で完成しました。

前島密と新しい庁舎前島密と後に見えるのは明治7年に改築された新庁舎

新庁舎(駅逓寮)は擬洋風建築、つまりぱっと見は洋風建築でも日本在来の工法で造られた木造2階建の建物でした。
上の記念切手に見られるようにバルコニーがあったり、上の方には時計が取り付けられています。

当時の人たちにするとおしゃれで物珍しく見えようで建物は錦絵に描かれたり、夜にはライトアップされるなど、ちょっとした観光名所にもなったんだそうです。

残念ながら、この建物は明治21年2月に火事で焼失してしまいます。

 

時を経て、発祥の地として

よくぞ耐えました

この胸像は郵便創業90周年を記念して置かれたものです。

|郵便創始九十周年を記念して建立
|昭和三十七年四月二十日
|      日本橋会
|      前島会
|      日本橋郵便局協力会
-台座の記銘より-

ちなみに1.3mの花崗岩(万成石)の台座はこの時に作られたものですが、その上にある胸像自体は生家である上野家で以前より所蔵されていたものが使われているのだそうです。

除幕式が行われたのは胸像が置かれて6日後の4月26日。式には当時郵政大臣であり胸像の台座に記銘をした迫水久常大臣や前島密の子孫・親族などが集まり催されました

迫水大臣と曾孫の純一氏によって胸像にかかっていた幕が下ろされました

※八町堀霊岸嶋日本橋南之絵図(1863年)では「活鯛屋しき」と記されている。中央区史には説明があり「水中に簀を張り鯛を圍ひ置く仕掛」とある


合わせて読む

郵便マーク(〒)の由来

馬車から自動車へ-郵便物の運搬を自動車で-

江戸時代にもあった『郵便』-言葉と文字としての『郵便』-

外部リンク(中央区観光協会のHP)

郵便発祥の地

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